ムッシュかまやつ青春交差店
TBSラジオ
毎週土曜日 17時00分〜17時15分
パーソナリティー:ムッシュかまやつ
アシスタント:広重 玲子
ムッシュかまやつ氏が店長の“青春”が“交差”する“お店”に毎週ゲストを招き、「グループサウンズ」「カントリー&ウエスタン」「フォーク」「ニューミュージック」といった懐かしい話や当時の秘話、近況、想い出の曲など、リラックスした会話と音楽で構成される番組です。3回にわたってジャッキー吉川が出演しました。
2003年5月24日(土)オンエア
〜 (1) 青春時代 〜
ムッシュお客様は文字通りグループサウンズブームの星、「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」のリーダー、この方です!
ジャッキー吉川みなさん、こんにちは!ジャッキー吉川です。
ムッシュ/広重よろしくお願いします。
ジャッキー吉川よろしく!
広重おととしからオリジナルのメンバーで活動再開している「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」が、そのきっかけともなりました、井上忠夫さん、来週5月30日が命日となるんですよね。今年は何か予定はありますか?
ジャッキー吉川そうですね、去年は僕、個人的に、仕事がちょうど休みだったもんで一人でお墓参りに行ったんですけども。今年も行こうと思ってるんですけど仕事のある方もいるんで、「偲ぶ会」ということでお酒でも飲みながら大ちゃんの昔話でもしようかな、思い出話を、なんて計画を立てております。
ムッシュいろいろな青春が交差するお店「マクドナルド青春交差店」に今回お越しいただいたお客様はジャッキー吉川さんです。 この番組ではいつもゲストの方にまずマクドナルドが日本に上陸した1971年頃のお話からおききしているんですが…あれ?1971年。ブルー・コメッツが解散する前の年になりますね。
あ、そうですかね!僕、70年ぐらいに我々と一緒に解散したのかと思ってたら。
ジャッキー吉川いや、その後だったね。スパイダースの方がちょっと早く、1年くらい前だったかね。
ムッシュぼくら…そうか。なんか思い出あります?その1971年くらい、つまり解散する前ですかね。
ジャッキー吉川うーん、思い出っていってもそんなにないんだけども。なんせ、仕事しててお客さんも入らないし、それで、レコードがもう全然売れなかったっていうのが、すごい、今でも頭に残ってるね。それでGSっていうのがもうお客さんが入らないっていうのがすごい耳に入ってきて、で、広島の方へ行ったときですかね、お客さんがほんとに4、5人で。大っきい会場で。
ムッシュマジ?(苦笑)
ジャッキー吉川マジに(苦笑)。ほんでもう三原なんかとメンバーとブルーになっちゃってさ。そんな思い出があるね。ちょうどそのくらいの時だった。
ムッシュなんでああいうもんてさ、あんだけさ、盛り上がってたものがいきなりさ(笑)、ね、キャパ3,000とかってとこに5人しか来なくなっちゃうんだろうね?(笑)
ジャッキー吉川ほんとだよね。はしかみたいなもんだよね。
ムッシュはしかだね。
ジャッキー吉川ほんとに。今思うと。
広重では、プロフィールのご紹介をさせていただきたいんですが。ジャッキー吉川さんの「ジャッキー」というのは中学時代のあだ名だったんですか。
ジャッキー吉川そう。あのね、わりと僕ね、昔からすごい力があったの。すごい力持ちで。軽自動車なんて後ろだけ持ち上がっちゃうの。
広重えぇー?
ジャッキー吉川それでほんとは「ジャッキー」じゃなくて、「ジャッキ」ってあったでしょ?
ムッシュああ、「ジャッキ」。うんうん。
ジャッキー吉川「ジャッキ」からきてたの。「おまえジャッキみてえな野郎だな」って。そんな由来があるんですよ。
ムッシュああそうなんだ。
広重昭和13年8月1日生まれで、東京の八王子育ち。どんな少年時代を過ごしていらっしゃいましたか?
ジャッキー吉川そうですね。ま、今は八王子は学園都市ですけど、その当時は八王子って言うのも恥ずかしいくらい田舎で。木炭バスが走ってて。
ムッシュ木炭バス!(笑)
ジャッキー吉川いやほんとにそうなの!そんで坂道来ると、人間は降りてくれって。降りて後ろを押すわけ。ほんとですよ、僕の中学の時は。そういう時代だったんですよ。
広重じゃ、力持ちのジャッキーさんとしては…
ジャッキー吉川いや、そこであんまり活躍しなかったですけどね、疲れるから(笑)
広重そんな子供の頃に聴いていた音楽ってなんですか?
ジャッキー吉川そうね。やっぱり土地柄、やっぱり演歌とかそういうものしかなくて、僕はいまだに覚えているのは亡くなった春日八郎さんの、なんだっけな、あれ
ムッシュ「お富さん」?
ジャッキー吉川「お富さん」!あれが…
ムッシュ俺もなぜかね(笑)、それは入ってるんだ。
ジャッキー吉川あれがものすごい耳についちゃってるんだ、いまだに。
ムッシュあれね、絶対ね、世の中のヘビーローテーションっていうのかな、しょっちゅういろんな所でかかってたんだよね(笑)あれね。
ジャッキー吉川うん、そうだよね(笑)。あれ、一番思い出にあるね。
広重で、力持ちと仰っていましたが体育が得意だったと。
ジャッキー吉川体育だけですよ。
広重すごいんですよ。中学時代100m自由形1分6秒って。
ムッシュへえー。早い!
ジャッキー吉川20年くらい前まで僕記録持ってたんですよ。水泳だけはすごく早くて、20年くらい前までは記録を、中学では破られてなかったと思う。1分06秒は。
ムッシュじゃああれだね、ずっとジャッキーさんって体育会系というか。
ジャッキー吉川そう。
ムッシュそうでしょ。
ジャッキー吉川どっちかっていうとね。最近はなくなったけど一時芸能人の水泳大会とかあったでしょ、運動会みたいな、水泳大会とか。あれでよくいい成績で、よく自転車いただいたり時計をいただいたり。
ムッシュそいでブルコメのほかのメンバーはしょっちゅうジャッキーさんにぶっとばされてたって話が。
ジャッキー吉川いや、それは…
ムッシュあ、違うか(笑)
ジャッキー吉川それは違うよかまやつさん(笑)
ムッシュ(笑)そっか。違うよね。ジャッキーさんやさしいもんね。
広重(笑)運動がお得意だということでしたが、音楽の方はどうでした?
ジャッキー吉川いや、音楽がこれがまるで全然だめで。ほんとに僕だめだったんですよ。もうペケで。もう、まず音程が悪かったんですよ。
ムッシュでもその分、なんかすごいリズム感が良かったからドラマーになれたんではないかと思うけど。
ジャッキー吉川いやーそんなことはないと思うけどね。音楽は好きだったんだけども、なんか、音痴なんで、おまえ才能がないからってよく言われたんですけども。でも、なんか叩くのは好きでね、なんかトントコトントコやってたけどね。
ムッシュ学校でさ、音楽という、いわゆる学科の成績の悪い人が多いよ、ミュージシャンになった人ね。
ジャッキー吉川そんでね、なんか学校で教えるもの、今はそうでもないけどあの当時、なんかつまんないんだよね。つまんないの。
広重そう思っていたのに音楽に目覚めたきっかけっていうのは何だったんでしょうか。
ジャッキー吉川そうですね。やっぱり高校1年くらいの時かね、あの当時外国の映画がすごく日本に入ってきて、ミュージカルとか音楽映画がわりと自分の心にとまったのよね。そん中で「グレンミラー物語」。これを見に行ったんですよ。なんの気なしに行ってみたら「グレンミラー物語」の中でジーン・クルーパーがドラムを叩いてる姿を見て「もう僕の生きる道はこれしかないな」って単純にね、バカみたいに考えちゃってさ。それがなにせ虜ね、最初の。
広重それからもうドラムの道に行ったということですね。それではその当時の思い出の曲があればご紹介いただきたいんですけれども。
ジャッキー吉川そうですね。ドラムの曲ではないんですけれども、衝撃的な音楽というか歌はプレスリー。「ハートブレイクホテル」。これは僕の胸にぐっさりきました。
広重では、その思い出の曲、エルビス・プレスリーで「ハートブレイクホテル」お聴きください。
♪「ハートブレイクホテル」

(2) 2003年5月31日(土)オンエア 〜 プロになってから 〜
(3) 2003年6月7日(土)オンエア 〜 ブルー・コメッツ活動再開から現在 〜




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