沖縄ライブ・レポート
2002年4月28日(日)沖縄/那覇・ダンスクラブ松下
ブルー・コメッツの沖縄ライブツアーが行われたのは1971年6月11日から17日にかけて、沖縄復帰の前年でした。今回は実に31年ぶりの沖縄ライブです。
ライブ当日はシーミー(清明祭)にあたる日でした。シーミーとは、沖縄独特の亀甲墓の墓前に重箱の料理やお酒を持って親戚が集まり、にぎやかにご先祖さまの霊を慰める行事だそうです。シーミーと重なっていたにもかかわらず、昼夜ともに会場は満員になりました。
「ダンスクラブ松下」は、スタンディングではキャパ1,000人ほどの広さで昨年GLAYもライブを行った場所。天井には大きなミラーボールが設置されています。
今回のライブでは、沖縄の楽器「三線(さんしん)」を取り入れました。曲目は「甘いお話」。三原綱木がギターを三線に持ち替えての演奏。沖縄風のフレーズと三線の独特な音色もあいまって、このライブのために小田啓義がアレンジをした「甘いお話」は、まるでもともと沖縄の曲だったかのようです。
そして、
猛練習した三線、
1曲だけではもったいない。沖縄の方もご存じの曲を、ということで沖縄民謡の「安里屋ユンタ」を演奏しました。曲名は言わずとも会場のお客さまには「安里屋ユンタ」だとわかり、すぐに手拍子や指笛で応援してくださいました。メンバーはリハーサルで指笛に挑戦していたのですが、どうもうまく音が出ず、お客さまの方がさすがにお上手でした。
それから何人かのメンバーが恐怖に感じている『自分で作った曲は自分で歌うコーナー』は、小田啓義「すみれ色の涙」〜高橋健二「愛の子守歌」〜三原綱木「雨の赤坂」。
小田、高橋両人はドキドキだった初回よりも大分落ち着いてきたようです。
しかし静かなギターのイントロから始まった「雨の赤坂」、♪なんで〜こんな〜に〜♪と、なぜか「孫」になってしまい、やり直し。
クイズコーナーではおなじみ「クイズ王・小田啓義」が難問を出題して会場をけむにまいておりました。
ブルー・コメッツは行く先々で本当にあたたかく歓迎されます。客席からの熱気がメンバーに伝わり、メンバーも演奏で応え、毎回毎回実にパワフルなライブです。アンコールの「ルシール」では会場のお客さまも踊り出し、メンバーも汗だくになっての演奏でした。
三原綱木はカラオケで地元の若い人たちが流行りのヒット曲ではなく沖縄の歌ばかりをうたっているのを耳にし、どうして流行りの歌をうたわないの?と尋ねたようです。返ってきた答えが「僕ら、沖縄を愛しています」。純粋に故郷を愛しているから自分達の歌を歌う、とはっきり言い切った若者に非常に感動し、自分達もブルー・コメッツの曲をこれからもずっと大事にしていかなくちゃいけない、とあらためて心にきざんでいました。
打ち上げは会場近くのライブハウスで行われ、主催側のスタッフの方達がバンド演奏をプレゼントしてくれました。こうなると三原綱木はだまってすわっていられず、高橋健二、小田啓義も加わって大騒ぎ、ジャッキー吉川もドラムの前にすわり、お返しの演奏とあいなりました。
お世話になった皆さま、本当に有難うございました。
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