ブルー・コメッツ/プロフィール


ジャッキー写真
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ジャッキー吉川(ドラムス)
本名/板岡 公一
1938年8月1日生まれ


八王子第二小学校〜八王子第四中学校(一年まで)〜法政中学・高校〜法政大学経済学部中退。
高校2年の時に映画「グレンミラー物語」を見て感動。ジーン・クルーパーに憧れて独学でドラムを始めた。

1958年、大学2年の時に先輩の大橋道ニの紹介でブルー・コメッツのバンドボーイとなり、下積みの後「ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ」などでドラマーとしての研鑚を積んだ。1961年にブルー・コメッツの正式メンバーとなる。
ブルコメの育ての親とも言うべき鹿内孝が1966年5月から1968年2月までアメリカ留学をしたのを機にバンドリーダーとなり、「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」としての黄金時代を築く。

最初は歌手希望だったが、見込みがなさそうなのでドラムを始めたという説もあるが、水泳の選手として全国大会で入賞したほどの運動神経抜群の資質も加わり、そのシャープでドラマティックな奏法は、他の追随を許さないほどのレベルの高さと今でも評価されている。
また自己に厳しく、練習熱心なことでもこの世界では有名で、数多くの子弟も育ててきた。
現在は、2001年10月から活動再開した「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」を率いて、全国各地でのコンサートのかたわら、多くの若いドラマーのよき相談役にもなっている。

2000年秋、「"ブルー・シャトウ"は永遠なり」(発行・近代映画社 定価¥1,700)を出版。現役時代の裏話や井上忠夫の思い出などがたくさん語られている。
釣りの腕前はプロ級で、毎年アラスカへのフィッシング・ツアーの際には、その模様が専門雑誌で紹介されている。




高橋写真
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高橋 健二(ベース)
本名/高橋 隆
1938年7月9日生まれ


文京区立汐見小学校〜文京区立第八中学校〜都立王子工業高校。
中学の時にブラスバンドでトランペットを吹く。高校卒業後、同級生とウェスタンバンドを結成。昼間は会社勤め、夜はジャズ喫茶出演という生活を続けた。
その後、1962年にブルー・コメッツのベース奏者を現役引退し大橋プロダクション社長としてマネジメントに専念することになった大橋道二にスカウトされ、ブルー・コメッツに入る。途中2年間は家業の手伝いで演奏活動からぬけたが、1965年5月より再びブルー・コメッツに戻った。

ベースの、地味ながら音楽をしっかりと支える堅実な演奏は当時から定評があり、ブルー・コメッツの大人の雰囲気は高橋によるところが大きい。

1972年ブルー・コメッツ解散後は音楽事務所で事務を担当していたが、現在は音楽からは離れて会社経営に携わっている。しかし、音楽に対する情熱は今も変わらず、ブルー・コメッツとしての再スタートにも快く参加、音楽を楽しみながら演奏するゆとりが出てきたと言う。
趣味の釣りは大会で優勝するほどの腕前。




小田写真
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小田 啓義(キーボード・作曲・編曲)
本名/小田 啓義
1939年12月23日生まれ


世田谷区立砧小学校〜杉並区立松沢中学校〜玉川学園高校〜玉川学園農学部中退。
小学校時代に姉の影響からクラシックピアノを習い始め、高校時代に映画「グレンミラー物語」を見て感銘を受け、ジャズピアノを勉強。

1961年にブルー・コメッツのマネージャーにスカウトされ、鹿内孝のバックで米軍のキャンプなどを回った。その後2年間はウェスタンキャラバンに移籍したが、1964年6月に再びブルー・コメッツに戻りキーボードを担当する他、作曲・編曲なども手がけ、「すみれ色の涙」「甘いお話」「ドゥ・ユー・ノゥ」など一連のヒット曲も生み出した。
クラシックのしっかりした基礎の上に立つ演奏は、確かなテクニックと豊かな音楽性に恵まれ、また温和な人柄を反映しての優美な作品は、当時からも幅広い年齢層に支持されていた。

ブルー・コメッツ解散後は、1980年から5年間、NHK「あなたのメロディ」の編曲を担当。また、1985年、「小田啓義とニューブリード」としてリーダーに抜擢され、「紅白歌合戦」のバックバンドも務めた。NHK文化センターでは「趣味の作曲講座」の講師をした経験もある。

現在は各地で演奏や作曲・編曲活動をするかたわら、多岐にわたるこれまでの音楽経験を元に、音楽教室を開き、若きミュージシャン達の指導にもあたっている。毎年、行われる発表会では、門下生達が質の高い歌唱を披露している。
日本音楽家著作協会正会員、日本作曲家協会コンサート委員。




井上写真
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井上 忠夫(大輔)
(テナーサックス・フルート・作曲・編曲)
本名/井上 忠夫
1941年9月13日生まれ


中央区立泰明小学校〜千代田区立麹町中学校〜日大豊山高校〜日大芸術学部映画科に入学、後に音楽学科作曲科に編入・中退。
小学校ではコーラス部に所属。高校時代にブラスバンドでクラリネットと指揮を担当。
東京都の吹奏楽コンクールで優勝の経験を持つ。大学に入ってモダンジャズバンドを結成。テナーサックスとの出会いもこの頃。 その後プロになりクラブのジャズバンドで演奏していたが、1963年8月にブルー・コメッツに入る。

「青い瞳」「ブルー・シャトウ」など次々とヒット曲を作り、GS時代にブルコメ不動の地位を築いた功績は大きい。解散するまで、ブルコメの音楽的リーダーとして一種のカリスマ的な存在であり、また、ファンに対しての音楽的指導も積極的に行ったことは、当時の芸能人としては新しい姿勢でもあった。

ブルー・コメッツ解散後は、作曲家・音楽プロデューサーとしてフィンガー5、シャネルズ、シブがき隊、郷ひろみ、沢田研二などのヒット曲を数多く手がけた。またCM音楽やアニメ音楽などでも独特な音作りを展開し、若い人達からの支持も大きかった。
1,000曲を超える作曲活動は、日本のポップス界にも大きな影響を与え、内外からも高く評価され、今後の活躍が期待されていた矢先、2000年5月30日逝去(享年58歳)。




三原写真
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三原 綱木(ギター・作曲・編曲)
本名/三原 綱木
1945年11月3日生まれ


三鷹第三小学校〜三鷹第四中学校〜高千穂高校中退。
小学校4年の時からクラシックギターを習う。高校1年の時からジャズギターを勉強。その成果を実践しようとクラブのジャズバンドに所属、高校生ですでにプロ入りしたことになる。
大橋プロダクション所属の「ファイヤーボール」で約2年間活動後、リーダーに認められ、先輩田村宣の後を継いで1964年にブルー・コメッツに入った。

最年少ということもあり、井上忠夫と人気を二分していたが、単にルックスだけでなく、その完璧なまでのテクニックは、多くのギターを志す少年達の手本となり、また夢を与えていた。

ブルー・コメッツ解散後は1976年から8年間、郷ひろみバンドのリーダーをつとめ、1985年からはフジテレビ「夜のヒットスタジオ」のオーケストラ指揮を担当。1986年から「三原綱木とザ・ニューブリード」を率いて現在に至る。
NHK「歌謡コンサート」、NHKラジオ「はつらつスタジオ505」、年末の「紅白歌合戦」をはじめ、大きなステージでの指揮やアレンジを担当。現役時代の経験を大いに生かした演奏スタイルと曲への解釈は、大勢の歌手達からは「安心して歌いやすい」との定評がある。
また、明るくフレンドリーな人柄から若いミュージシャンからも信頼と尊敬を集めており、広い意味での後進の指導にあたっていると言えよう。



ジャッキー吉川とブルー・コメッツ マネジメント

ブッキングのお問合せは下記へどうぞ。

合同会社 坂本エンターテインメント
〒371-0857 群馬県前橋市高井町1−31−10−202
TEL:027-252-5085 携帯:090-3201-7422
E-mail:management@bluecomets.jp
担当マネージャー 酒本 康幸



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